吉川家と意外な関係から吉川家系図や吉川家墓所の写真など。
吉川家年表
平安時代 |
1183 |
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駿河の吉川(現在の清水市吉川)を拠点とし吉川家起こる。始祖経義は源頼朝の側近に隋侍した鎌倉武士である。 |
鎌倉時代 |
1193 |
5 |
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富士の巻狩。 |
1193 |
5 |
28 |
経義は富士野の旅館に宿衛中、曽我兄弟の叛乱(反乱)に遭遇。経義等九人が負傷した。 |
1200 |
1 |
20 |
梶原景時の一党が鎌倉より逃げるを②友兼等は駿河の狐ヶ崎に要撃して討滅した。このとき、友兼は景茂を手討にしたが、自身も傷つき、翌日、死亡。 |
1201 |
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③朝経は父の功によって播磨国福井庄の地頭職に補任。 |
1221 |
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④経光は承久の乱・宇治橋の戦に功あり。よって、安芸国大朝本庄の地頭職に補任された。 |
1313 |
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⑤経高はその本拠を、駿河の吉川より、安芸の大朝本庄に移し、駿河丸城を築いた。 |
南北朝時代 |
1380 |
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⑧経見は石見吉川から本家に入り、その本拠を、大朝本庄から、新庄に移し、小倉山城を築いた。 |
戦国時代 |
1467 |
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⑪経基は歴戦の武将。特に、応仁の乱には、細川方に属し、戦功偉大。その勇武に、鬼吉川の称を得た。また文事も嗜み、和歌・連歌の手写本を多く遺している。 |
1508 |
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⑫国経が大内義興に随従して上京。 |
1517 |
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⑬元経は毛利と協力して、武田元繁を、安芸の有田城外で討ち破った。このころ吉川と毛利は姻戚関係になる。 |
1547 |
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⑭興経は勇武の人だが、毛利元就に憎まれ、若くして隠居を余儀なくし、元就の二男⑮元春を養子にした。 |
1550 |
9 |
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興経は安芸布川の隠棲地で、元就に殺害された。 |
1555 |
10 |
1 |
厳島合戦。ついで、鞍掛山城の攻略戦。 |
1557 |
11 |
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毛利元就が隆元・元春・隆景ら三子に宛て、長文の教訓状を書き与えた。 |
1564 |
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⑮元春が出雲の洗骸陣中(あらわい※現在の松江市付近)にて、太平記を書写した。 |
1566 |
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出雲の富田城が陥落。尼子義久・倫久・秀久が降伏。 |
安土桃山時代 |
1578 |
7 |
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播磨の上月城陥落。尼子勝久・山中幸盛降伏。 |
1581 |
10 |
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因幡の鳥取城開城。吉川経家切腹。 |
1582 |
6 |
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備中の高松城講和。清水宗治切腹。 |
1585 |
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⑯元長は秀吉の命令で、小早川隆景と共に、四国へ出征。 |
1586 |
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秀吉の命令で、元春、元長等も九州へ出陣。 |
1586 |
11 |
15 |
元春が小倉の陣中て病歿。 |
1587 |
6 |
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元長が日向の都於里(とのこおり※現在の西都市付近)の陣中て病歿。 |
1588 |
7 |
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⑰広家は九州鎮定の功により、秀吉に招かれて上洛。聚楽第で歓迎を受けた。また、秀吉の奏請により従四位下に叙せられ、侍従に任ぜられた。 |
1591 |
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広家は、毛利領百十二万石の内から、伯老半国・出雲半国・隠岐一国・安芸山県郡内一万石、計十二万石を受領した。そして、安芸新庄より、出雲富田に移城した。 |
1592 |
4 |
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広家は、秀吉の命令により、渡鮮。 |
1593 |
1 |
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広家は高陽の碧蹄館において、小早川隆景の軍を援助し、明軍を破って、戦功を立てた。 |
1597 |
7 |
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広家は、秀吉の命令により、再度渡鮮。 |
1598 |
1 |
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広家は、蔚山(うるさん)城の加藤清正を救援し、明軍を撃退した。後日、清正から、蔚山の救援を感謝して、広家に婆々羅馬印(ばばらうまじるし)が贈られた。 |
1600 |
9 |
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関ケ原合戦。広家は、この戦いの前後、毛利の存続のために種々画策するところがあったが、結局利あらず、毛利は八ケ国を失い、防長両国を再給され、岩国初代広家は、岩国三万石を受領することになった。 |
1601 |
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岩国の築城選地と、城下町の都市計画を立案し、まず横山に上の土居を普請した。 |
1602 |
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岩国城下の侍屋敷より普請に着手。横山土居が完成。 |
江戸時代 |
1603 |
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横山の山上に、城郭を起工。 |
1608 |
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岩国城竣工。城番を定めた。 |
1615 |
5 |
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第二代広正が大阪へ出馬。 |
1615 |
10 |
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岩国城破却を命ぜられた。 |
1624 |
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室の木・会津沖に、大開作(三十町歩)を干拓。 |
1626 |
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岩国領検地、高六万一石五斗(五ツ)と記帳。 |
1640 |
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岩国半紙の藩専売を始めた。販売は大坂蔵屋敷で。 |
1660 |
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中津に、広正の隠居屋敷できる。 |
1664 |
4 |
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僧独立(どくりゅう)を、長崎より岩国に招聘。 |
1673 |
10 |
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第三代広嘉の考案という錦帯橋創建。 |
1678 |
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広嘉に叙爵の意志あり。維薦を毛利網広に請う。 |
1690 |
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室の木・今津沖に五本松開作(六十町歩)できる。 |
1696 |
7 |
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第四代広紀が萩にて急病死。 |
1698 |
10 |
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第五代広逵(みち)の保育所として、仙鳥屋形できる。 |
1700 |
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蓮得院、広逵と前後して、江戸へ参勤。 |
1717 |
12 |
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由宇・玖珂・日積・柳井より百姓一揆おこる。 |
1728 |
9 |
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横山白山宮下に、鋒垂明神(ほこたる※吉香神社)建立。 |
1738 |
6 |
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吉川外記職の不正が露顕し、関係旧役人を処罰。 |
1738 |
6 |
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横山千石原にて、白蛇を初めて発見。 |
1793 |
6 |
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第七代経倫の隠居所として、昌明御殿できる。 |
1807 |
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室の木・今津沖に、麻里布開作(四十町歩)できる。 |
1809 |
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尾津沖へ、尾津開作(百十町歩)できる。 |
1811 |
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装束沖へ、麻里布湊(新港)築立。 |
1812 |
9 |
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岩国藩政財政改革施行。 |
1847 |
5 |
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藩校養老舘成り。 |
1847 |
5 |
20 |
開業式。 |
1856 |
9 |
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第十二代経幹は招かれて萩の花江亭に毛利慶親と会す。 |
1859 |
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室の木・今津沖に、新開作(百八町歩)できる。 |
1863 |
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経幹が上京。毛利に代わって、京都宮門警衛の任につく。 |
1864 |
11 |
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経幹が広島の国泰寺にて、征長総督と応対。 |
明治時代 |
1869 |
6 |
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版籍奉還。 |
1869 |
6 |
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第十三代経健が岩国藩知事に任ぜられる。 |
1871 |
7 |
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廃藩置県。岩国県できるも、程なく山口県併合。 |
1884 |
7 |
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吉川経健が男爵に叙される。 |
1885 |
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吉香神社を城跡に移転し、境内を公園とした。 |
1891 |
4 |
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吉川経健が子爵に昇叙せられる。 |
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歴代当主名 |
生没(西暦) |
主な出来事 |
駿河時代 |
①経義つねよし |
不詳 ~1193 |
鎌倉幕府の成立(1192) |
②友兼ともかね | 不詳 ~1200 | 東大寺大仏殿の再建供養(1195) |
③朝経ともつね | 不詳 ~1240 | 承久の乱(1221) |
④経光つねみつ | 不詳 ~1267 | 鎌倉の大仏造立(1252) |
安芸時代 |
⑤経高つねたか |
不詳 ~1319 |
元冠(1274・1281)吉川氏、安芸へ移住する(1313) |
⑥経盛つねもり | 不詳 ~1358 | 室町幕府の成立(1338) |
⑦経秋つねあき | 不詳 ~1383 | 観阿弥・世阿弥親子の活躍(1300年代後半) |
⑧経見つねみ | 不詳 ~1435 | 勘合貿易の開始(1404) |
⑨経信つねのぶ | 不詳 ~1456 | 雪舟、京から山口ヘ移住(1450年頃) |
⑩之経ゆきつね | 不詳 ~1477 | 応仁の乱(1467~1477) |
⑪経基つねもと | 1429~1520 | 毛利元就が生まれる(1497) |
⑫国経くにつね | 不詳 ~1531 | 大内義興に従って上洛(1508) |
⑬元経もとつね | 不詳 ~1522 | 吉川氏と毛利氏が婚姻関係を結ぶ(1518年頃) |
⑭興経おきつね | 不詳 ~1550 | 鉄砲の伝来(1543)ザビエル、山口で布教(1550) |
⑮元春もとはる | 1530~1586 | 毛利元就の「三子教訓状」(1557)大内・陶両氏の滅亡(1557) |
⑯元長もとなが | 1548~1587 | 本能寺の変(1582) |
⑰広家ひろいえ | 1561~1625 | 関ヶ原の戦い(1600) |
岩国時代 |
①々 |
1561~1625 |
吉川氏、岩国に移封される(1600) |
②広正ひろまさ | 1601~1666 | 鎖国(1639~) |
③広嘉ひろよし | 1621~1679 | 錦帯橋の創建(1673) |
④広紀ひろのり | 1658~1696 | 「奥の細道(松尾芭蕉)」の完成(1694) |
⑤広逵ひろみち | 1695~1715 | 赤穂浪士の吉良邸討入り(1702) |
⑥経永つねなが | 1714~1764 | 岩国横山で白蛇が発見される(1738) |
⑦経倫つねもと | 1746~1803 | 天明の大飢饉(1782~1787) |
⑧経忠つねただ | 1766~1803 | 寛政の改革(1787~1793) |
⑨経賢つねかた | 1791~1806 | 「古事記伝(本居宣長)」の完成(1798) |
⑩経礼つねひろ | 1793~1836 | 「東海道五十三次(安藤広重)」の刊行(1833) |
⑪経章つねあきら | 1794~1843 | 天保の改革の開始(1841) |
⑫経幹つねまさ | 1829~1867 | 長州征伐(第1次1864・第2次1865)ペリー来航(1853) |
⑬経健つねたけ | 1855~1909 | 版籍奉還(1869)廃藩置県(1871) |
現在 |
⑭元光もとみつ |
1894~1953 |
第2次世界大戦(1941~1945) |
⑮重喜しげよし | 1925~1999 | 国宝等多くの文化財・資産を(財)吉川報效会に寄贈 |
⑯重幹しげもと | 1955~ | |