不落の名橋「錦帯橋」や岩国城等、写真や図を交えご紹介します。
太平記 吉川元春筆写(40冊)
国の重要文化財・書跡
この太平記は吉川元春が尼子氏の攻めの陣中・洗骸(あらあい 現在の島根県松江市)で22ヶ月の歳月をかけて書写したもの。展示の36、39巻には室町時代盛んであった闘茶の記載がある。
太刀 銘 為次(狐ヶ崎) 1口
国宝・工芸品
狐ヶ崎の太刀-きつねがささのたち
青江為次作-あおえためつぐ (銘は佩裏刻)
鎌倉時代
正治2年(1200)正月20日、梶原景時一族は源頼朝没後の鎌倉幕府に叛いて京都に走った。吉香(吉川)友兼一族はこれを駿河清見関(現在の静岡県清水市)に迎え討ち、狐ヶ崎の地で全滅させた。その時友兼は、梶原景茂(景時の3男)をこの太刀で倒した。「狐ヶ崎」の名は、その戦場にちなんでつけられ、以来、吉川家では代々「狐ヶ崎の太刀」として大切に保存してきた。
元亨釈書 吉川経基ほか筆写 15冊(2冊)
国の重要文化財・書跡
この元亨釈書は、虎関師錬が記した仏教略伝を11代当主吉川経基が数人で書写したもの。 4巻の紙背文書には、室町時代に盛んに行われていた闘茶の採点表がある。
山道草花鶴亀文繍箔胴服 1領
さんどうそうかつるかめもようしゅうはくどうふく
国の重要文化財・工芸品
安土桃山時代
山道とは、山形を横に二つ,三つ連ねた、すなわち稲妻模様めことである。この胴服は、模様の上に亀、鶴、鶴の子、雪持芦(枝に雪をのせた芦)、雪持笹、桐、松の模様を刺繍してある。また、白の練緯地(ねりぬきぢ絹織物)の全面に金の摺箔(すりはく)をし、10種類以上の色糸で刺繍した豪華な衣装である。吉川家の家伝によると、天正16年(1588)に、吉川広家が九州征伐の功績により豊臣秀吉から拝領したものである。
※繍箔(しゅうはく)とは、金や銀の箔を摺る摺箔と刺繍の2つの技法が結びついたものをいう。安土桃山時代は男女区別なく華やかな繍箔が盛んで、小袖ばかりでなく、武将の胴服に用いられるほどであった。