仏教伝来は飛鳥時代から
それまで神道であった天皇家に仏教を取り入れようとする蘇我氏とそれに反対する物部氏が対立、聖徳太子は仏経派である蘇我氏に加勢し物部氏は敗れました。
国分寺
奈良時代になると各国に国分寺が建立され東大寺には仏像が納められました。この頃の仏教は南都六宗で奈良仏教とも呼ばれます。又、僧侶の数が増え戒律を守らない僧侶の統制の為、唐より鑑真が招かれ、幾何の難関を超え日本に入国し荒れた僧侶を正しました。
密教
平安時代になると最澄と空海により密教が盛んになります。密教は文字の如く教義を明かさず修行にて会得した力により仏道を行う宗教です。牛若丸の弟子で有名な弁慶も僧侶でしたが戒律を守らない僧侶だったとされてます。
顕教
平家が敗れると武士の世になり鎌倉時代になります。仏教界では難解な密教は廃り始め顕教と呼ばれる教義を明らかにした仏教が盛んになります。この顕教が現在でも継がれて現存する仏教です。やがて密教も顕教に習い顕教を取り入れ教義を改正し人々に認められるようになります。そして強大な力を持つようになり武士との対立が絶えないこととなります。信長と戦った一向一揆は現在の浄土真宗本願寺派(一向宗)です。
江戸時代
江戸時代になると寺請制度が行われ寺院は現在の市役所の役目を担うようになります。キリスト教は禁止され弾圧の対象になりました。
明治時代以降
幕府が倒れ明治になるとキリスト教は解禁されたものの寺請制度で甘んじて腐敗した寺院を排除するため廃仏毀釈運動が行われ日本本来の宗教である神道に導く運動が行われました。
この頃から新興宗教という新たな宗教が生まれ、昭和になると創価学会など政党を持つ宗派も生まれますが、オウム真理教のような宗教という名の過激殺人集団も現れました。
平成に入ると各宗派とも檀家や門徒の数が減り維持継続が困難な寺院も増え廃寺となる寺院も増えいるようです。
日本独自の宗教観
本能寺の変の明智光秀の娘は生前に禅宗からキリスト教に改宗し洗礼を受け細川ガラシャとなりましたが、日本での仏教は本人が亡くなってから戒名を授かります(逆修戒名は別)。実はこれは逆でキリスト教など他宗教と同じく生前に受けるのが本来の形です。しかし、日本人は亡くなってから戒名を頂いてます。
日本人の殆どの方が生前に入檀・入門の意識が無く親からの流れで宗派を決めておられるようです。
これらの事から葬儀=寺という意識になり、それ以外の慶事は神社であったりクリスマスであったり他宗教の文化を取り入れています。
お墓の建立希望でご来店された方に宗派をお聞きすると宗派は判らないけど寺院名は答えられる方が多いのも入檀や入門が正しい意思決定の上なされてない事が窺い知れます。
ご両親の何れかが亡くなり葬儀社を訪れ宗派が無い事を伝えると葬儀社が宗派(寺)を決める事もあるようですから宗派が判らない事も頷けます。
真の信者
満中陰(四十九日)を終えると、お骨をお墓に納める納骨式を行います。墓石店はその納骨式に同席し納骨のお手伝いをさせて頂く事が多いのですが、素晴らしいエピソードをご紹介致します。
施主さまは70代前半の女性の方で遠方からこの地に嫁がれ、ご主人を亡くされた方でした。この地に菩提寺は無かった為、幼い頃からの地元(実家)の馴染みの宗派を選択され今回新たにこの地で入壇されたとの事でした。
私が現地に着いた時には花芝は献花され式の準備は万端でした。施主さまは数珠を片手に巻き両手にお骨を抱えられ予定時刻より15分ほど早く見えられました。お墓の前まで来ると一礼され「今日は宜しくお願い致します。」とお骨を手渡されました。
私は厨子から骨壷を出すと、施主さまは数珠を持ち合掌されました。納骨室に納め納骨蓋を閉めると再びお墓に一礼され僧侶を待つ間、雑談が始まりました。
予定時間になると僧侶が参られ読経の用意をされ始められたので私は線香の束に火を灯し線香立てに納めました(宗派により異なる)。僧侶は始める意思をを参列者に伝えると参列者の方々は僧侶に支持された教本のページを開き読経の用意をされました。
部外者でもある私はいつものように後ろの傍らに遠慮させて頂き納骨式を見守っておりました。
いつもなら僧侶の読経が始まっても参列者は教本を読む(見る)だけで声に発せず僧侶の読経だけが聞こえて来るのですが、この日は違ってました。
確かに僧侶は一人で来られたのですが読経は明らかに二人で唱えられていました。いつもと違う様子で戸惑いながら「誰が」僧侶と一緒に唱えているのか確認すると喪主である施主さまでした。
通常、僧侶はお経を覚えていないのでは無く間違えの粗相が無いように教本を読みますが施主さまを見ると手には教本は持たず目を閉じて合掌の姿のまま読経をされておられ僧侶との読経のテンポやイントネーションまでピッタリで音の芸術品を耳で見ているようでした。
僧侶が読経を終えると施主さまへ深々と頭をを下げ同じく首を垂れる施主さまを凝視され「失礼ですが寺族の方ですか?」と尋ねられました。
施主さまは「いいえ、幼い頃から両親に教えられ脳裏に焼き付いています」と答えらえました。