己巳
「文化六己巳八月」左の写真は某墓地の古いお墓の石彫文字を撮影したものです。ご承知のように「文化」は年号と判りますが、その後の「己巳」はご不明な方が多いと思います。現在は使われる事はありませんが、これは「干支(かんし)」といわれるもので、日本では1500年以上も前から使用されていたと伝わります。
干支(かんし)は60周期で現在も契約書等で使用される「甲(こう)」「乙(おつ)」「丙(へい)」・・・「癸(き)」までの10文字列、これを十干(じっかん)といいます。それと、干支(えと)の「子(ね)」「丑(うし)」「寅(とら)」・・・「亥(い)」の十二支(じゅうにし)の組み合わせからなる数値で十干と十二支の文字「干」と「支」で干支(かんし)と呼ばれます。
数え方は十干と十二支をそれぞれ一つづつ進めて組み合わせます。例えば十干の最初は「甲」、十二支の最初は「子」ですから「甲子」が順番が「1」になり、次は十干と十二支をそれぞれ一つづつ進めて乙と丑となり「乙丑」が2になります。十干は10進法で十二支は12進法なので最後は60の「癸亥」になります。<下表>
よって「文化六己巳八月」は西暦1809年、今から200年も前のお墓になります。勿論「文化六年」から導けば算出可能ですが昔の人は干支を重んじてたようです。
還暦の語源は干支から
60才を迎えると「還暦祝い」をしますが、人生90年近くなって60才を祝うのは「ちょっと可笑しい?」と思われる方も多いと思いますが昔は現在に比べ短命で60才生きると喜ばしい時代でしたので干支の60進法で十分だったと思われたようです。
昔は満年齢ではなく数え年で年齢を数えていましたので数え年の61歳(現在の60歳)は、つまり誕生した干支を再び迎える→干支が戻る→暦が還る→還暦と祝ったとのようです。
干支表
順 | 干支 | よみ | 該当西暦 | |||
1 | 甲子 | きのえね・かっし | 1804年 | 1864年 | 1924年 | 1984年 |
2 | 乙丑 | きのとのうし・いっちゅう | 1805年 | 1865年 | 1925年 | 1985年 |
3 | 丙寅 | ひのえとら・へいいん | 1806年 | 1866年 | 1926年 | 1986年 |
4 | 丁卯 | ひのとのう・ていぼう | 1807年 | 1867年 | 1927年 | 1987年 |
5 | 戊辰 | つちのえたつ・ぼしん | 1808年 | 1868年 | 1928年 | 1988年 |
6 | 己巳 | つちのとのみ・きし | 1809年 | 1869年 | 1929年 | 1989年 |
7 | 庚午 | かのえうま・こうご | 1810年 | 1870年 | 1930年 | 1990年 |
8 | 辛未 | かのとのひつじ・しんび | 1811年 | 1871年 | 1931年 | 1991年 |
9 | 壬申 | みずのえさる・じんしん | 1812年 | 1872年 | 1932年 | 1992年 |
10 | 癸酉 | みずのとのとり・きゆう | 1813年 | 1873年 | 1933年 | 1993年 |
11 | 甲戌 | きのえいぬ・こうじゅつ | 1814年 | 1874年 | 1934年 | 1994年 |
12 | 乙亥 | きのとのい・いつがい | 1815年 | 1875年 | 1935年 | 1995年 |
13 | 丙子 | ひのえね・へいし | 1816年 | 1876年 | 1936年 | 1996年 |
14 | 丁丑 | ひのとのうし・ていちゅう | 1817年 | 1877年 | 1937年 | 1997年 |
15 | 戊寅 | つちのえとら・ぼいん | 1818年 | 1878年 | 1938年 | 1998年 |
16 | 己卯 | つちのとのう・きぼう | 1819年 | 1879年 | 1939年 | 1999年 |
17 | 庚辰 | かのえたつ・こうしん | 1820年 | 1880年 | 1940年 | 2000年 |
18 | 辛巳 | かのとのみ・しんし | 1821年 | 1881年 | 1941年 | 2001年 |
19 | 壬午 | みずのえうま・じんご | 1822年 | 1882年 | 1942年 | 2002年 |
20 | 癸未 | みずのとのひつじ・きび | 1823年 | 1883年 | 1943年 | 2003年 |
21 | 甲申 | きのえさる・こうしん | 1824年 | 1884年 | 1944年 | 2004年 |
22 | 乙酉 | きのとのとり・いつゆう | 1825年 | 1885年 | 1945年 | 2005年 |
23 | 丙戌 | ひのえいぬ・へいじゅつ | 1826年 | 1886年 | 1946年 | 2006年 |
24 | 丁亥 | ひのとのい・ていがい | 1827年 | 1887年 | 1947年 | 2007年 |
25 | 戊子 | つちのえね・ぼし | 1828年 | 1888年 | 1948年 | 2008年 |
26 | 己丑 | つちのとのうし・きちゅう | 1829年 | 1889年 | 1949年 | 2009年 |
27 | 庚寅 | かのえとら・こういん | 1830年 | 1890年 | 1950年 | 2010年 |
28 | 辛卯 | かのとのう・しんぼう | 1831年 | 1891年 | 1951年 | 2011年 |
29 | 壬辰 | みずのえたつ・じんしん | 1832年 | 1892年 | 1952年 | 2012年 |
30 | 癸巳 | みずのとのみ・きし | 1833年 | 1893年 | 1953年 | 2013年 |
31 | 甲午 | きのえうま・こうご | 1834年 | 1894年 | 1954年 | 2014年 |
32 | 乙未 | きのとのひつじ・いつび | 1835年 | 1895年 | 1955年 | 2015年 |
33 | 丙申 | ひのえさる・へいしん | 1836年 | 1896年 | 1956年 | 2016年 |
34 | 丁酉 | ひのとのとり・ていゆう | 1837年 | 1897年 | 1957年 | 2017年 |
35 | 戊戌 | つちのえいぬ・ぼじゅつ | 1838年 | 1898年 | 1958年 | 2018年 |
36 | 己亥 | つちのとのい・きがい | 1839年 | 1899年 | 1959年 | 2019年 |
37 | 庚子 | かのえね・こうし | 1840年 | 1900年 | 1960年 | 2020年 |
38 | 辛丑 | かのとのうし・しんちゅう | 1841年 | 1901年 | 1961年 | 2021年 |
39 | 壬寅 | みずのえとら・じんいん | 1842年 | 1902年 | 1962年 | 2022年 |
40 | 癸卯 | みずのとのう・きぼう | 1843年 | 1903年 | 1963年 | 2023年 |
41 | 甲辰 | きのえたつ・こうしん | 1844年 | 1904年 | 1964年 | 2024年 |
42 | 乙巳 | きのとのみ・いっし | 1845年 | 1905年 | 1965年 | 2025年 |
43 | 丙午 | ひのえうま・へいご | 1846年 | 1906年 | 1966年 | 2026年 |
44 | 丁未 | ひのとのひつじ・ていび | 1847年 | 1907年 | 1967年 | 2027年 |
45 | 戊申 | つちのえさる・ぼしん | 1848年 | 1908年 | 1968年 | 2028年 |
46 | 己酉 | つちのとのとり・きゆう | 1849年 | 1909年 | 1969年 | 2029年 |
47 | 庚戌 | かのえいぬ・こうじゅつ | 1850年 | 1910年 | 1970年 | 2030年 |
48 | 辛亥 | かのとのい・しんがい | 1851年 | 1911年 | 1971年 | 2031年 |
49 | 壬子 | みずのえね・じんし | 1852年 | 1912年 | 1972年 | 2032年 |
50 | 癸丑 | みずのとのうし・きちゅう | 1853年 | 1913年 | 1973年 | 2033年 |
51 | 甲寅 | きのえとら・こういん | 1854年 | 1914年 | 1974年 | 2034年 |
52 | 乙卯 | きのとのう・いつぼう | 1855年 | 1915年 | 1975年 | 2035年 |
53 | 丙辰 | ひのえたつ・へいしん | 1856年 | 1916年 | 1976年 | 2036年 |
54 | 丁巳 | ひのとのみ・ていし | 1857年 | 1917年 | 1977年 | 2037年 |
55 | 戊午 | つちのえうま・ぼご | 1858年 | 1918年 | 1978年 | 2038年 |
56 | 己未 | つちのとのひつじ・きび | 1859年 | 1919年 | 1979年 | 2039年 |
57 | 庚申 | かのえさる・こうしん | 1860年 | 1920年 | 1980年 | 2040年 |
58 | 辛酉 | かのとのとり・しんゆう | 1861年 | 1921年 | 1981年 | 2041年 |
59 | 壬戌 | みずのえいぬ・じんじゅつ | 1862年 | 1922年 | 1982年 | 2042年 |
60 | 癸亥 | みずのとのい・きがい | 1863年 | 1923年 | 1983年 | 2043年 |