南無阿弥陀仏
サンスクリット語(古代インド語)で「なも」は敬意を表す言葉で「南無」は、ここから生まれました。山口県では浄土真宗は本願寺派(西本願寺派)が殆どで「南無阿弥陀仏」をそのまま読めば「なむあみだぶつ」ですが本願寺派では「なもあみだぶつ」と発音します。浄土真宗で他の宗派や浄土宗では「なむあみだぶつ」と発音します。浄土真宗も浄土宗も昔は「南無」ではなく「南元」と書きました。サンスクリット語の「なも」の発音を「南元」に充てたものと思われます。(上から2番目の文字=南の次の文字は「元」の旧字体)
現在の中国でも日本語の「無」を「元」と書きます。漢字は中国から伝来したものですが広く日本で広まる過程に於いて日本流の漢字の使われ方に変化しているものも沢山あります。画数の多い旧字体は現在殆ど使用されていません。
お墓に於いても無理に旧字体を使用する決まりはありませんので現在の当用漢字を使用されて構いません。
最近では家紋や屋号もお墓に彫る方が減少してきてます。中には家の家紋が判らない方も沢山おられます。現在使用していない家紋や屋号などを無理に彫り込む必要などありません。鏡面程、仕上げた現在のお墓には現代風の文字や装飾が似合うのかもしれません。
佛
「南無阿彌陀佛」や「南無釈迦牟尼佛」の「佛」は「仏」の旧字体、何故、旧字体を使うのかは不明です。石屋は石彫する文字が複雑な場合には文字寸法を大きくしたり書体を変えたり代用可能な文字を使う事はよくあります。例えば「南無阿彌陀佛」と「南無阿弥陀佛」では「彌」と「弥」が違い「弥」の方が画数が少なく済みます。これは石彫する際に石が飛んでしまう恐れの回避と完成後の文字の割れを防ぐ為です。しかし、必ず「佛」は複雑にも拘らず使ってあります。
旧字体や異字体
昔のお墓は昔の文字=旧字体や異字体が使われています。左の写真は「24日」で、旧字体では「廿四」、さらに写真は「十」と「十」を横に並べて異字体の「廾四」と刻されています。
30の場合は「十」を3つ並べて「卅」ですが、「30日」の月日の場合は「晦日(みそか)」と刻されていたようです。旧暦では31日なるものが無く、29日又は30日までしかありませんでしたので30日を晦日と呼び12月30日は大晦日と呼びました。
その他、8月は「秋八月」1日は「朔日(ついたち)」、1月の場合は「正月」と刻し、3日の場合は「初三日」と刻していました。
三月閏?
旧暦では閏年(旧暦は3年に1回)は13カ月ありましたので同じ年でも三月と三月閏とでは約30日の開きがあります。
補足
掲載内容は複数の僧侶や有識者から教授頂いた情報ですが複数の説が存在し、どれが本当なのか判りません。弊社が導いた回答は神仏混合の日本では絶対的正解はないという結論に至りました。神仏は人の心に存在しているものですから迷われた場合には信仰する神社や寺院に聞かれると良いでしょう。