明治以前
明治以前のお墓は故人一人づつが埋葬される個人墓や夫婦で埋葬される夫婦墓(比翼)が主流でした。
明治以降、政府はそれ迄、個人毎に建立していたお墓を一家に一基の家墓(〇〇家之墓)を推奨してきました。個人毎に建立したお墓の正面には戒名(法名)が彫られ、正面又は左右には建立日や死亡日
年齢、俗名、続柄まで彫られていました。
明治以後
明治以後は夫婦墓も建立されましたが家墓が主流となりましたので故人を埋葬後、竿石(仏石)に戒名等を石彫職人が現地に出向き、追加彫り(上座、右から)していました。
やがて、重労働を要するものは機械化されていき、お墓も機械を使い造られるようになると石彫も竿を一時的に工場へ運び機械彫りするようになりました。そうすると、その度の抜魂や運搬・据付が大変になり始めました。
墓誌の誕生
比較的運搬が容易な墓誌の誕生で重量のある都度の竿石への石彫は非常に少なくなり、今では滅多にありません。墓誌であれば、より詳しく故人を石彫出来、職人1~2名で運搬・据付が出来ますし、都度の抜魂も必要ありません。
墓誌そのものに魂が入っているわけではありませんので墓誌を置く箇所に決まりはありませんが、仏様が居られる仏石(竿石)を向く必要があり、その向きから見て右上座から石彫します。そして石彫する箇所が無くなった場合は新たに墓誌を置くスペースがあれば造り追加彫りしますがスペースが無い場合は裏面(新たな追加石彫文字はお墓の外を向く)に右から追加彫りします。
石彫する項目や文字に決まりはありませんが概ね過去帳と同じ様に「戒名」「没年月日」「俗名」「享年・行年」の順に石彫します。この時、後に追加彫りするスペースの配分を考慮し文字の位置や大きさを決定します。
お墓が和型の場合は縦書きをお勧めしますが縦書きの場合は数値(没年・没年齢)が漢数字になりますので注意が必要です。<例:12月31日と1月1日を漢数字にすると相当な文字数が違う>
洋墓の場合は横書きで上から石彫し「1・2・3・・」のアラビア数字やローマ字を使う事が多く、戒名を入れない事もあります。
和型・洋型、いずれも故人の好きだった句や言葉・イラストを石彫したり故人の自筆文字を石彫したり昔ながらの風習に捉われる事が少なくなってきています。